奥深い歴史を持つ会津地方。
先人たちは、ここ喜多方市で多くの歴史を積み上げてきました。
是非、喜多方の歴史の息吹に触れてみて、喜多方の魅力に触れてみてください。
正安3(1301)年に建てられた供養塔で、阿弥陀三尊を表す梵字(種字)の他に「諸行無常 是生滅法 生滅々己 寂滅為楽」の経文が彫られている。孝子敬白とあることから、親の追善供養にために建てられたものとわかる。源翁和尚再興以前にあった寺院に関連する唯一の文化財である。
(市指定文化財)【示現寺】
江戸時代の安政6(1859)年に、甚三郎という木こりが、自らが切った木々の霊を慰めるために建てたという。当時の人々の信仰心を垣間みることのできる貴重な例であるとともに、自然愛護の先駆けとも言える塔である。また草木塔は飯豊山周縁の地域に多く分布すると言われている。(市指定文化財)
温泉神社は草創の年は不明であるものの、熱塩温泉ゆかりの古社である。境内の大杉は、幹周り6.5mを越える市内でも最大級の巨樹。枝張り、樹高も大変に大きく立派で、市指定天然記念物である。樹齢は推定で1,000年近いという。
(市指定天然記念物)
いつの頃か赤崎村の瓜生出雲という富豪が、上三宮から熱塩の金屋までの道筋に三十三観音を安置したと伝わっている。現在では三十三カ所のうち十数カ所が残り、仏都会津らしい素朴な民間仏教信仰の広がりを偲ぶことができる。また終点である三十三番の観音様のある熱塩加納小学校前には草木塔という珍しい供養碑(市指定文化財)も立てられている。
南北朝時代〜室町時代
会津藩主の始祖である佐原十郎義連は、源頼朝より会津一円を賜り、当市半在家に居城を築いた。
1830年〜1844年(県史跡)
古くは米沢へ抜ける街道筋でもあり、村人へ知らしめた制札場を今も見ることができる。制札場は間口3.7m、高さ3.6mで木造二間の主柱に6本の支柱を添えた建物で、県内で唯一現存するもの。
明治時代
明治生まれの社会教育家。修養団創設者。「愛なき人生は暗黒なり、汗なき社会は堕落なり」
鎌倉時代
佐原十郎義連の孫、加納五郎左衛門盛時が築城したものと伝えられている。
6世紀(県史跡)
喜多方地方随一の規模をもつ円墳。
明治43(1910)年
完成当時東洋一といわれた石造りの鉄橋。長さ445m、高さ17m。飯豊山を背景に走るSLばんえつ物語号の絶好の撮影場所としても知られている。
南北朝〜室町時代
会津領有を命じられた佐原十郎義連の孫で、新宮六郎左衛門時連が築いたといわれている。
明治15(1882)年、福島県令三島通庸の住民の人権を無視した強引な「会津三方道路開削計画」に抗議し、民権派の指導的立場だった宇田成一らが不当逮捕された。民権派農民はついに行動に踏み切り、同年11月28日、弾正ヶ原に集会を持った千数百名は、同志の釈放を求め喜多方署に押し寄せた「喜多方事件」。
リーダーたちが演説のために登ったケヤキが、 今も静かに風に吹かれて立ってる。
6〜7世紀
古墳時代後期の横穴古墳で、大きいものでは、高さ1m、幅1.5m、奥行き2から3mもある。
慶長8(1603)年
会津五街道の一つ米沢街道(今の県道熊倉から塩川線)にある。宇都宮、米沢を結ぶ昔からの街道で旅人たちが、この一里塚を目安に歩いた。
昔、日橋川と大塩川の合流点近くに周囲18mの泉があり、そこから塩水が湧きでた。塩川の地名発祥の地。
平安時代の女流歌人小野小町が年老いて故郷の出羽ノ国へ帰る途中この地で病に伏し、村人の手厚い看護もむなしくこの世を去ったという哀話が伝えられている。
平安時代の女流歌人として名高い小野小町がこの地で没したといわれる墓のそばにあり、小町が化粧の鏡水として用いたといういわれがある。
天保年間
江戸時代後期の村役上層農民(肝煎)の住宅。蔵の里に移築保存(県重文)
明和8年(1771年)
江戸時代中期の村役上層農民(郷頭)の住宅。蔵の里に移築保存(県重文)