飯豊山とは...

飯豊連峰飯豊山は、福島県の西北境に位置する飯豊連峰の主峰です。標高2,105m。夏でも白い雪が残り、会津盆地の西北、鬼門(戌亥)の方角に雄大な姿として壁のように聳え立っています。

喜多方市山都町川入の登山口から、三国岳(1,664m)、種蒔山(1,791m)を進み、本山である飯豊山(2,105m)、奥の院である御西岳(2,012m)、そして最高峰の大日岳(2,128m)へと続きます。他にも北側に烏帽子岳(2,017m)、北股岳(2,024m)などの2,000m級の山々が連なり、飯豊連峰の一大山塊を構成しています。


飯豊山の名前の由来

厳しい冬が終わり、陽春のころになると会津盆地から見る飯豊連邦は、雪解けで黒々となる周囲の山々とは異なり、まだ豊かな残雪を湛えています。その姿は、「山容飯を豊に盛るが如き」と文献に記され、周囲の山並みのお椀のうえに、真っ白い御飯を豊かに盛り上げたように見え、ここから飯豊と呼ばれるようになったと言われています。食料不足が常態化していた昔は、その飯豊山の姿に、「腹いっぺ白い飯(まんま)が食いっちなあ」という思いを重ね合わせていたに違いありません。

他にも「湯が出ずる(ゆいで)」が転訛したとも言われています。


信仰の対象 飯豊

飯豊参り飯豊山は昭和30年代初頭まで、五穀豊穣を願う者が登拝する山であり、また、13歳になる男子が一人前の大人になるために家族と離れてムラのお堂や行屋で肉を断ち、みずごり水垢離をとり、しょうじんけっさい精進潔斎の生活をして、白装束の姿で先輩の案内の元に信仰心を持って登った山でもありました。そして飯豊参りを無事成し遂げ、帰宅したときに家族は「おらいの息子もいっちょめ(一人前)さなったべ」と喜び合いました。

飯豊山は、なぜ、五穀豊穣を願って登る山であったのでしょうか?

飯豊山を源流とする川には一の戸川(福島県側)、胎内川(新潟県側)、荒川(山形・新潟県側)、最上川(山形県側)などがありますが、いずれも山麓の村々の田畑を潤し、稲をはじめとする多くの農作物の成長や生活用水として欠くことのできない重要な水源となっています。 飯豊山信仰を広めた宗教者は、民間の信仰心に神の尊厳を説いたのでしょう。

田は宝(宝=田から)、田は稲、稲は水の恩恵を以て豊作を約束します。何にも増して、米を主食にし、年貢を米で納めるなど社会の仕組みが米で廻っていた時代です。稲作に大切な水は今よりも人々の生活になくてはならないものでした。

また、飯豊山の本地仏の虚空蔵菩薩は何からも影響されない最高の仏としての「知恵」と「福徳」を人々に授けますが、語呂合わせから虚空は穀とも通じ、虚空蔵は穀蔵(こくぞう=こくぐら)と説かれたのでしょう。虚空蔵は作神に繋がり、正に庶民の生活の大切な部分にわかりやすく浸透していったに違いありません。

飯豊山信仰の歴史は福島県側だけではなく、山麓の新潟県、山形県にも残っており、市内の長尾や綾金、日中飯森山(熱塩加納町)や本元飯豊山(会津若松市)にも関係した伝説が伝えられています。